お金と運に翻弄されて・・・

50男の日常とお金とほんのちょっと人の運の話とか

人のために役立ちたい?

朝のNHKニュースで男の子が母親から大好きなアメリカンフットボールのチームのチケットを貰ったことに感激して、貰ったクリスマスプレゼントを全部恵まれない人に送ると言い出して、結果、ハリケーン被害にあったプエルトリコの子供達に贈ることになり、追加のおもちゃの提供をインターネットの動画で呼びかけ、数千個のおもちゃが集まった、という内容を伝えていた。

 

www.nhk.or.jp

先日は僕のカミさんも寄付先を求めてインターネットを検索していた。

何しているのかと聞くと、自分は恵まれているから、少しでも他の人にそれを分かち合いたいのだと言った。

 

我が妻ながら、本当によくできた人だ^^;

 

ちなみに僕自身はWikiMediaに寄付はしているが、それは日頃お世話になっている利用料みたいな感じだ。人のために何かをするという意識にはほとんどなったことがない。

 

でも、どうして僕はそういう思いに駆られないのか? ^^;

 

思い返すと、それは少年時代の思い出にまで遡る。

 

少年の僕は自分で言うのもなんだが、結構慈悲深い人間だったのだ。

 

いじめにあっていた友人と進んで話したり遊んだりしていたし、目に着くところで話すのが憚られるときにはわざわざその子宛にハガキまで書いたりして。

 

そこまでしていたのに、今の僕にその面影がほとんどないのは、きっとその結果起こった苦い経験のせいだ。

 

苦い経験というのは、簡単に言えば「恩を仇で返される」みたいなことだ。

 

いじめられて仲間はずれになっていた子がいじめられなくなった途端、踵を返すように今度は僕をいじめ出したり、仲間はずれにしたり。あるいは親友だと思っていた友人に他の誰にも話したことのないような秘密を公然と暴露されたり。

 

そんなことが幾度となく繰り返されるうち、いつしか少年の僕の中には外の世界、他人に対する不信感が芽生えていったようなのだ。結果、自分以外の存在に期待を持たなくなり、自己防衛本能でどこか一歩引いた形で世界と関わるようになっていったのだと思う。

 

書いていて、ちょっと寂しい話ではあるけれど。

 

そんな僕だから、世の中のいろいろなニュースにもどこか冷めた目で見ている。少年の僕がまだ心の奥底をうろうろしている。

 


ゴダイゴ ガンダーラ 高音質

 

あるいはそんな過去から自由な世界でなら、僕にもまた「人のために役立ちたい」という思いを呼び起こせるのだろうか?